ここ一の話
職場の後輩から聞いた話が面白かったので話したくなりました。
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後輩がココイチでカレーを食べていると、一組の親子が入ってきた。
八十歳は超えているであろう母親と、五十代位の息子。母親が最初にメニューから
「あたしゃこれにしようかね」
とカレードリアを選んだ。すると息子が
「俺ぁ肉が食えねえから、肉が入ってないやつにしてくれ!」
と母親に頼んだ。それを聞いた母親は
「じゃあこれにしようかね」
と言ってハンバーグカレードリアを指さした。
息子は注文を母親に任せていたので、何を選んだのか知らない。
しばらくして店員が注文を取りに来た。そこでも息子は
「俺ぁ肉が食えねえからよ!」
とアピール。しかし母親は予定どおりハンバーグカレードリアを注文。
店員ももちろん話を聞いていたので
「お客様、こちらはお肉が入っておりますが・・・」
それを聞いた息子は激怒。
「俺ぁ肉が食えねえって言っただろうが!責任者呼べ!」
奥から現れた店長に息子は
「この店員が俺に肉を薦めやがった!食えねえって言ってんのによお!」
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この後輩、東北から東京に出てきてまだ半年ほどなんですが、面白い人間を引き寄せる
性質みたいなものを持っているようで、とある日に駅のホームで電車を待っているとき、
横に並んだおっさんが後輩のリュックの縫い目(ポケットとかチャックとかではない)に
ぐいぐい小銭を押し付けて来たので「僕落としました?」ってきいたら
「いや、おっかしいなー入らんなー」
と言いながらずっと押し付けられ続けたという体験もしています。
終わりです。
子曰く、礼に非(あら)ざれば視(み)ること勿(なか)れ。 礼に非ざれば聴くこと勿れ。
少し前になりますが、あるピアニストがライブ中に観客が発した雑音により集中が途切れ、演奏を中断しライブが当初の予定通り行われなかったという事がありました。それについてちょっと言いたくなったので書きました。(ライブには行ってません)
「観客のせきで集中力がそがれてしまった」 キース・ジャレットさん、コンサート中に何度も演奏中断
http://topics.jp.msn.com/entertainment/tv/article.aspx?articleid=4288605
NAVERでまとめられていたお二方のブログから一部引用させて頂きますが、どちらの心情も本当に良く解ります。
簡単に言うと、「お前らもうちょっと静かにできないのか」というのと「客の生理現象の音ごときでライブを放棄するな」という意見です。
>MY Favorite Things 「キース・ジャレット ソロコンサート」
>http://red.ap.teacup.com/mitsuyo/2325.html
> 私達はもう少し 静かにして静寂を守れたのではないかしら?
> 確かに咳を我慢し身じろぎもしない時間が続くのはそれなりに大変です。
> けれど、私達はその静寂の中から類いまれなる貴重な音を奏でるキースの「その音」を聞きに行ったのではないのかしら?
> だから、私達自身のために 静寂を守ると言う事ができたんじゃないかしら?
>AndreaとLucasの旅… 「キースジャレット」
>http://blogs.yahoo.co.jp/butchnomama/64277626.html
> もしも、咳が嫌なら気になってしかたないなら、スタジオで録音すれば良い。
> CDだけ売っていればええやんか。
> 人は生きて息をしている、そのときによって体調もかわる。
> わかっていても、どうしようもないときがある。
> 大事なのは一体感やないの?
> どんなに良い曲を紡ぐことができても、共有することができなかったら、意味ないやん。
> 人生の歓びを共有することが出来ないのやったら、
> あなたの音楽はなんなん?
で、私はこの件については演者と観客はどちらも責められるべきではないと思っています。
でももし誰かしらに責任を求めるとすれば、やっぱり運営側とかになるのかなあと思っています。
この日は結局、キースさんが萎えきっちゃってライブが完結する事なく終わりました。
演者は自分自身の演奏をする為に静かな環境が必要だった訳ですが、でもこれ数千人規模のホールですので集まった観客の中には演者固有のローカルルールについて把握していない方もおられたでしょう。
そういった方に「この人のライブに来てこんな態度はありえない」と言ってしまうのはちょっとどうなのかなと思います。たまたまCD聞いてちょっとライブ行ってみようと思って来た人もいるかも知れませんし。
一方で演者の方は、当たり前ですが自分の演奏によって集客している訳ですから出来うる限り最高のパフォーマンスを提供したいと思うのは当然です。その為には静かに集中できる環境が不可欠だったという事です。
で、このキース・ジャレットさんという方はそういったある種気難しい性格も知られていて、過去にも観客の雑音で演奏を中断した事があるそうです。
でもこの人、ピアノ弾きながら感情高ぶった時には結構でっかい声で喘ぐんですね。マイクがばっちり拾うくらい。
当然その声を余計だと思う人もいるでしょう。でもそれも彼の音楽の内だとする人もいて、ならライブでの客席からの雑音もその場特有の音楽の一部なんじゃないかとも思います。
更に言ってしまえば、観客もライブの参加者という前提なら、騒音で演者のパフォーマンスに影響が出た事も含めてその場でしか味わえなかった音楽なんだとポジティブに捉える事もできるのかもしれません。
まあ自分が当事者なら全く納得しないと思います。最初に挙げた「お前らもうちょっと静かにできないのか」と「客の生理現象の音ごときでライブを放棄するな」が入り混じったモヤモヤした気持ちになるでしょう。
もし、今回のこの結果を失敗だったとするなら、演者の性質を一見さんにも充分周知できなかった運営側(キースさんの裏方含む)に反省点があるのかなと思いました。
ライブ中、キースさんが客席に向かって「静かにしてくれ」とお願いする場面もあったという事なので、それに協力出来なかった一部の観客については個人的にはぶん殴りたいです。
でも今回、咳以外にも、曲が終わって拍手をするタイミングについてまで指摘していた方もいて、正直きっつ、と思いました。行きづら、と。
CDが売れなくなって久しいですが、こういう事でライブに足を運ぶのが億劫になってしまう人がいると思うと、いよいよ誰も得しないよなあと思います。
聞く側に対して敷居を上げるような流れは結果的に演者側の首を締めることになってしまうかもしれません。
で結局何が言いたいかというと、音楽ライブはなまものであるわけで、演者も観客もお互いできる範囲で協力しないとな、と。
今回はそれが噛み合わなくて起きた不運な事故という形ですが、アマチュアからプロまで結構皆忘れがちなのかもしれないと思い、備忘の意味も含めて書きました。
でもこのキースジャレットとかいう人のピアノ、引力まーじパねぇ。youtubeで聞くだけで結構ぐいぐい引っ張られるので、生で聞いた日にはどうなる事やら。なにこれ。世界には凄い人がいるもんです。
https://www.youtube.com/watch?v=zCKobOe7Cww&list=PLD8D0F31EFF3D8F40
むかつくってなんだろう
他人のむかついた話を聞いて好き放題相槌を打つ、というのをやっている方がいます。
そこに「むかつくとかそーゆー気持ちがないんです。ネタになりませんよね?」というメッセージが送られて来ました。
それに対し相槌の人(ズイショさん)はブログ内で以下のように言っています。
むかつくのが難しいのであれば、むかつかなかった話を教えてください。それも十分面白いからね。むかつかない人にむかつかなかった話を聞いたら、たぶん、「それむかつかないんだwww」って話が飛び出すはずですから。それはきっと貴方の輪郭をよりハッキリとさせる面白話になるはずです。まーむかつくのしんどいしパワーも使うんでダルいんですけど、結局そういう効率度外視が、一番手堅い自己紹介になるんじゃねぇのと僕は割りと本気で思っています。
この人のブログはこちら。→http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2014/03/08/010946
この方(ズイショさん)とは以前一度お会いしたのですが、本当に上記の様なスタンスを当たり前のように取る方で感動しました。
面白くないものを面白くするのは凄くエネルギーがいるのに、それがもう染み付いてるというか、無理してやってる感じがありませんでした。
念のためですが、私が面白くなかった訳ではありません。
それで表題の件ですが、毎日隙あらばむかついている私がむかつかないというのはどういうカラクリかを考えました。
私がむかつくタイミングとしては主に、自分が蔑ろにされた時なのかなと思います。
例えば駅のホームで乗車待ちの順番を抜かされたり、スーパーでレジにめちゃ並んでるのに一向に応援呼ばなかったり呼んだとしてもなぜか自分の後ろの人が優先されたり、職場でちょっと席を外して戻ったら自分の席に知らない人が座ってたり、道いっぱいに広がって歩いてる集団とすれ違う時に私は壁際っ際まで寄ったのにぶつかった挙句壁に服が擦れて肩の辺りが破れたり、お箸入れるって言ってたのに入ってなかったり、真冬にガス給湯器が壊れて生来苦手な公衆浴場に行かざるを得なくなったり。
と上記のように、やっぱりむかつくというのは自分の中にある「これはこうあるべきだ」という理屈に反した事に対する反応とも言えると思います。他にもあるでしょうが。
そしてむかつかないというのは、こうあるべきという感覚自体が薄いかそれに反する事があっても負の感情に直結しない思考になっている、のどちらかでしょうか。
後者ならもしかしてそれは理想的なのかもしれません。
そういえば私にも同じ出来事でも昨日はむかついたけれど今日は大丈夫、というパターンがあります。
そういう時は大抵、そんな事今はどうでもいいやと思うことでむかつきを回避しています。
しかしこれで回避出来るのは上記のような些細なむかつきで、例えば児童虐待や婦女暴行等のニュースを聞いた時の大きなむかつきは消えません。
むかつかない人はそういう世の中の理不尽に対してもむかつくという感情は無いのでしょうか。
もしかすると、悲しみは感じるけれど怒りは感じないという事かも知れません。
私の勝手な想像ですが、多分悲しみは解決や進展に繋がる事はあまり無く、その場から動く、動かすにはもしかすると怒りやむかつきの成分がある程度必要なのかなと思います。
しかしそれも含めて飲み込んだ末に「むかつく必要はない」と判断している可能性もありますので、それはひとつの理想的な到達点なのかも知れません。
とりあえず今はそう思っています。
ブログはツイッターと違って沢山書けるので言及不足で誤解を招いたりする事が無いのかなと思っていましたが、むしろ書けば書くほど隙を晒してる感じになり驚きました。
そして公開すれば最期、後戻りの出来ないような感じ。
また、書いている内に考えが変わってしまってそうなるともう最初から書き直したくなってしまったり。
考える訓練として使うという考え方もあるのでしょうか。
ズイショさんはある程度自分の中で芯となる部分が固まっているから自分のブログを読み返してもダメージは無いみたいな事を仰っていましたが、凄いなあ。沢山考えて来た人だというのが分かります。
あと、ブログに対する意見はブログでという考えがあるのは、会って話しましょうみたいな、フェアにやりましょうという事でもあるのかなと思いました。
なんにせよ、今日はここまでにします。